俺がこの目で実際にみたパレスチナ(1)/ アンマン(ヨルダン)準備編-2000年11月
中国からスペインへの5ヶ月の旅をゆっくりと、自分自身も楽しみながら紹介して行こうと始めた
この「俺がこの目でてきとうに見た世界」ですが、最近のパレスチナでのあまりにひどい殺戮に加
え、殺しに殺しまくってなお、「テロを抑えないアラファトが悪い」とほざくシャロンやブッシュの
屁理屈がまかり通る状態にもがまんならず、急きょ、一年半前に僕自身が見て体験したパレスチナと
イスラエルの記録を載せます。
当時の旅日記を一部手直ししたもので、かなり長いです。だるいところは飛ばしてください。(2002年4月)
※ パレスチナの事がよくわからんと言う方へのお勧めサイト→
パレスチナ・ナビ /
パレスチナ・子供のキャンペーン /
パ
レスチナの平和を考える会
...など超多数
僕がエルサレムとヨルダン川西岸のナブルスに行ったのは2000年の11月。激しい衝突によって、毎日
のように少年達を中心とした多数の犠牲者が出ており、イスラエル軍による「ピンポイント」的な暗
殺作戦なども始まっていた。
それでも、パレスチナ人への無差別殺戮が平然と繰り広げられている今の全面戦争状態に比べれば、
まだしも「平和」と言える状態だったのかもしれない。1993年に同居人Yと旅をした時に世話になった、
画家ムハンマドの一家を訪ねてナブルスに行くのが、今回の僕の大きな目的だった。
中央アジア・ウズベキスタンあたりを旅してた時から、「かなりヤバイ事になってるぞ」「行くのや
めたほうがいいよ」と、多くの知人友人が心配と忠告のメールをくれていたが、とりあえずトルコか
らシリアを経てヨルダンの首都アンマンへやってきたのが2000年10月31日。ここまで来ればイスラエ
ル、パレスチナ自治区は目と鼻の先だ。
アンマンの町は7年前と同じくごちゃごちゃだ。安宿がひしめき合うアル・フセインモスクあたりのご
ちゃごちゃさが心地いい。てっきりホテルの無愛想な従業員だと思ってたおっさんが流暢なアメリカ
ン英語でしゃべってきた。ベツレヘム生まれ、7歳でアメリカに渡り、初めてヨルダンに来ていると言
う。ナブルスに行きたいと言うと、アレンビー橋までは行けるがイスラエル内は空港もcloseでバスも
走ってないのにどうやって行けるんだ?と言う。昼間のツーリストオフィスでの話(No problem, but
be carefull)とはえらく違うなあ。
「イスラエルは心がない。子供がいっぱい死んだ。こっちはrock(石)なのにむこうはgunだ」と怒
りをあらわにしつつ、自分は故郷には行けないと彼はいう。晩飯を求めてぐるりと歩き、モスクの裏手
で呼びかけてきたおっさんの店でチキン(の丸焼きを半分、あるいは4分の一にしたもの。シリア、ヨ
ルダンあたりで大変ポピュラー)を食う。アブダリ・バスステーションから4〜5人乗りのセルビス
(乗合タクシー)でボーダーまで行き、そこからエルサレムまではバスが出てると言う。いろんな人に
聞いてみなければ。
翌朝、イルビッドから来ている同室の服売りの兄ちゃんと、互いに寝たまましゃべる。「あのアメリ
カから来た人やけど」「彼と何かあったんか?」「いやいや、7歳でアメリカに行ったのに普通にアラ
ビア語しゃべるんやなあと思って。」「家族でしゃべってたからだろ。今日はどこか行くのか?」「一
人部屋が欲しいし宿替えするよ」「な〜に、俺も昼は仕事で出てるしNo problemやんか。泊まれよ」彼
ともナブルスへ行く話をする。ボーダーまでのバスは止まってるが2〜3日したら行けるやろ、とよくわ
からん話。
キングファイサル通りで声をかけてきた、押しが強いが憎めない感じのおっさんに誘われてBagdhad
hotel に移る。キッチンが使えて4JD(ヨルダンディラハム)とはうれしい。マネージャーはナブルス出
身。なんとあさってナブルスへ向かうというアメリカ人医師も泊まっているらしく、夜に紹介してくれ
る事に。ナブルスが近づいてきた。キッチンを有効に使いたく、各種食料を買いにモスク周辺へ。
蜂蜜入りアラブコーヒーがぶ飲みで腹をこわし、自炊のパスタとアラブ風サラダで、持ちなおした。
寝かけた頃にノックがあり、アメリカ人医師のJが立っていた。妻子がナブルスの隣村にいて6年間すん
でいるという。今はベツレヘムとラマラが危ないらしい。彼自身、ビザ無しで5〜6年すんでるからボー
ダーで追い返されるかも知れないと言う。物静かなJは「俺だったら家族が残ってなかったら、絶対行か
ないが、どう思う?」と他の客に聞いている。ナブルスから来ている若い兄ちゃんが、いいんじゃない?
と答えている。ジェリコから帰ってきたフランス兄ちゃんは「Riot(騒動)じゃなくてWarだぜ、やめとけ
よ」と言う。Jいわく。
「2〜3日したら緊張がゆるんで行けるかもしらん」
気分転換に日帰りでどこかへ出かけようと起きる。フランス兄ちゃん「イスラエルはNo Good」と
まだ心配している。「No Joke」と。自分も行ってきたくせに。
ミニバスでアンマンからジェラシュへ北上し、ジェラシュからは山また山を越えてアジュルンへ向
かう。埃っぽい乾ききった風景に変わりはないが、松やオリーブの緑がどんどん濃くなり、ヨルダン
渓谷へ入り込んでいってるのがわかる。大きな峠を越えると丘の頂上に城跡が見えた。アジュルンの
街だ。
バスを降りたところで、何の事務所かわからんがおっさんに呼び止められ、きれいなお姉さんがお
茶をいれてくれた。片言のアラビア語をほめられる。いい気になって「写真撮っていい?」と聞くが彼
女は、キャッキャとはしゃぎながらも断固として照れる。イスにかくれたりしゃがんだりしてすごく
キュートなのだ。おっさんは彼女を友達だと言ってうれしげなのだが、彼女は「ちがうちがう!」。
城跡までの道のりでは老女たちがオリーブ収穫の真っ最中だ。ふりむくとこじんまりした家々が密
集する町並みと包み込むような山の緑が美しい。山といってもまばらな緑なのだが、
こんな潤いのある風景は久しぶりに見る。城ではヨルダン人の観光客と仲良くなった。彼らが上がっ
てきた時、あからさまなひそひそ声で「ジャッキーチェーン….」と聞こえた。古城のてっぺんにいき
なり東洋人、というのはアラブ人にはインパクトあるんだろうか。
広大な渓谷の向こう側は激しい衝突の続くパレスチナなのだ。しかし、ここはあくまでものどかで
、ヨルダン兵士も何の緊張感も見せずに望遠鏡をのぞいている。「タタタタタ…..」という乾いた、間
延びした音が聞こえる。観光客が「イスラエルが撃ってるんだ」と言うが、あれはなにかのエンジンの
音にしか思えない。あまりに間延びしてるし、その後ジェラシの遺跡でも同じ音を聞いた。
オリーブ畑をぬって街にくだり、バス乗り場へ。さっきのお姉さんにまた会えないかと期待したが、
その、何の事務所かわからないオフィスは閉まっていた。帰りのバスでは、運ちゃんの隣に乗せられ
た。バス前方の客が、「おお、アラビア語わかるんか」「日本の車(このバス) No good!」とかいって
盛りあがっている。
Bagdhad Hotel に戻ると、フランス人のカップルが「エルサレムでまた二人死んだぞ」と真顔。
ナブルスも包囲されていると。しかし何たる偶然!ムハンマドの従兄弟という巨漢の客が泊まってい
たのだ。ジューディ・アーデルと名乗るその人が電話をかけてくれ、ムハンマドの兄弟としゃべれた。
「いつナブルスに来るんだ?」「行きたいけど、今はやばいのでは….」
「とんでもない!welcomeだぞ。いつでも来てくれ!いつまでアンマンに?」「たぶん2〜3日。
でも今夜連絡とれたら、明日にでも向かうよ」(その時、押しは強いが憎めないホテルの従業員ハー
リドが小声で「明日はダメだ。2〜3日- 包囲が終わるのを- 待ってからがいい。」と言った)とに
かくラッキーだ。こんな事もあるんだ、世間は狭い!と喜んでると「ここはナブルスの人間が多いか
らね」とハーリド。
このハーリドというおっさん、なかなか魅力的なガラガラ声の持ち主で、僕に会うたびに「おは
よー、こんにちわー」とわめく。おまけになかなかの女ったらしと見える。僕がギターを持ってるも
んだから「何かやってくれ」とせっつくので、腕をブンブン回したり跳んだりしながら弾いた。すると
狂喜して、ヨーロッパ人のバックパッカーに「Japanese rock はすごいぞ。ジャンプするんだぞ」と
大マジメに吹聴している。
ハーリドと馬鹿話をしながらキッチンで茶をわかしていると、物静かなアメリカ人Jが帰ってきた。
友達と連絡がとれたと言うと喜んでくれた。彼は予定どうり、明日ナブルスに向かうのだと言う。フ
ランス人カップルがアラブ人の客達と楽しげにしゃべっている。女の方が年上に見えるとアラブのお
やじに指摘され、「そーよ、どうせ私がoldよ。」と言いながら、僕の方を向いて「友達はwelcomeって
言うだろうけど、入るのが問題よ」と念を押す。彼氏のほうも「タンクが包囲してるんだぞ」
翌朝、Jを見送ろうと思って起き出した時には、彼はもう出発した後だった。しかし昼寝から起き
て茶をわかしてると、ハーリドが「ドクターが帰ってきたぞ」。
ビザなしで4〜5年住んで出国したため、今後10年間の入国を拒否されたという。「どーするんだ?」
「このパスポートじゃ、もうだめだ。10年間は名前がコンピューターにのるんだから。アメリカに帰
って、別の名前でパスポートつくらないと…. 友達とはしゃべれたか?」「いや、まだ。明後日ぐら
いにエルサレムに入ろうと思う。」「あさって(日曜)ならOKだ。土曜はボーダーが閉まるからな」
夕方、ケバブのサンドウィッチを持って帰ると、ロビーのアラブ人客の輪の中に、また、ナブルス
のムハンマドの知人と言う人がいる。フランス人カップルと何の弾みでか、宗教の話になり、「日本
じゃ宗教なんてどうでもいいんだ」てなことを軽く言うと、大真面目でオウムの事などを突っ込まれ
て、ちょっと困った。おもろい二人なのだが時々、話の波長がずれまくる。アメリカ人医師Jの話に
なり、「名前を変えてパスポートつくるって….。日本じゃそんな事できるのかい?」「いや、
dangerousやと思う」「だよな、バレたらコレ(逮捕)だよな……」
しばらくしてJの部屋をノックした。寝かけていたようだ。「いや、どーしてるかなと思って。
たぶん、明後日発つし、明日アドレスくれよ。」と言うと握手をしてきた。10年間の入国拒否で妻子
を残して来たっていうのは、どんな心境なんだろうか。
翌朝もさわやかに晴れ渡っていた。シリア、ヨルダンに入って10日、毎日こんな天気だ。モスクの
前の路上のパン売りから、うっすら甘味の効いた胡麻パンを買う。すっかり我が家のような気分でキ
ッチンで茶をわかしていると、ハーリドが例のガラガラ声で「おはよー、こんにちわー」と言いなが
らやってきた。女好きでファンキーなハーリドだが、キッチンの整理整頓にはなかなかうるさい。馬
鹿をやってる時と職業意識全開の時のギャップが、実に面白い。
Jの部屋でアドレスを交換し、しばらくしゃべる。妻もアメリカ人で宗教的な事でナブルスに住ん
でいるらしい。(2人ともクリスチャン) パスポートの件、どうなりそう?と聞くと、「う〜ん、むず
かしいね」 航空券の手配ができるまでアンマンにいるらしい。沖縄の人は日本人と同じなのか、と
か日本の家の大きさとかの話をする。「どうして子供がほしくないんだ?」 「う〜ん、トルコや中近
東ではみんなに聞かれるな。たまに、非難する人もいて、困るよ。」と笑うと、彼も楽しそうに笑う。
Jは子供好きで5人もいるのだと言う。
明日はいよいよエルサレムに向かうというその夕方、宿の屋上で出来かけの曲をいくつか録音した。
状況とは何の関係もない能天気なロックンロールができた。(「弱気に成り果てた」「カモ」などの
原形が)
その晩はハーリドの誕生日とかで、どこから入手してきたのか( ヨルダンの街中では、アルコー
ル類はどこにも見当たらない ) フランス人カップルがワインを振舞っている。ハーリドが「ジャ
パニーズロックンロール、ジャンプ、ジャンプ」と催促する。酔って目のすわったフランス兄ちゃん
が低い声で、アラブのおじさん客に何やら自説をとなえはじめている。危ないなあ。今日は彼女の方
が止めに入っている。ハーリドは 「女は最高!」とはしゃいでいる。
どうせ、パレスチナから戻った時もう一度アンマンに寄るので、当面必要のない衣類やらカセット
を袋に詰めて預かってもらった。それをしまいこみながらハーリドが 「旅行者に会ったらこのホテル
を紹介してくれよ!」 「はいよ。でも、一人ちょっと危ないおっさんがいて、その名はハーリドって
いうのもな。」「どわはは、冗談ぬきで、いいホテルだろ?家みたいだろ?」
「 エルサレムからナブルスへ」に続く
「俺がこの目で実際に見たパレスチナ」トップへもどる
俺がこの目でてきとうに見た世界/目次
この旅を実施した男のバンド・ジェロニモレーベルのページへ