2000年8月〜2001年1月、中国、中央アジア、トルコ、中近東、旧ユーゴスラビア、スペインをぶらつく。

アルマトィ(カザフスタン) 2000年9月7日〜9月15日

ギターが、なんか変だ

 夜中に再び熱っぽさで目がさめたが、濡れタオルを頭にのせるとすっきりした。まだ暗い7時過ぎ、服務員のお姉さんを起こしてチェックアウト。外に出ると、シャキッと身がひきしまった。ターミナルで待っていると、ギターの音が聞こえた 。そら耳かと思ったが、バスの中で弾いてる人がいた。そういえば、ピチャンとイーニンではギターケースを開きもしなかった。(そしてその中では、重大なことが進行していたのだが……)
 そんなことなどつゆ知らず、「そう言えばウィグル音楽のカセットも買わなかったなあ。北京を出たばっかりの時に列車でかかったウィグル歌謡、めちゃくちゃカッコ良かったなあ。」などと考えてた。

 国境越えの乗客は、僕以外に旅行者らしき姿もなく、数人の漢人を除けばほとんどが年配のカザフ人やウィグル人。窓越しにひっそりと別れの涙を流す人もいた。コルガスの中国側ボーダーには、あっけなく着いた。

 すごくかわいく、声もきれいでなめらかな英語を話す女性係官がいた。僕のギターだけを開けるよう指示された。ちょっと弾いてみてと言われたので、カッコつけてフラメンコもどきを弾いたが、「なんか硬いなあ、こんなに弾きにくかったっけ。緊張してんのか俺?」と思った。その時はまだ、気づかなかったのだ……。

 すんなり中国を出国し、大いに緊張してカザフスタン側ボーダーに入る。馬鹿でかいひさしの帽子をかぶったカザフ人・ロシア人の兵士は、拍子抜けするほど礼儀正しく、税関のおっさんは「ヤポーニェツ(日本人)、ヤクザ、ヒロシマ」とか言いながら、所持金の申告等もこちらが答えるままに適当に記入してくれて、すんなりと入国できた。

老人たちと、静かなバス旅

 この後の中近東などでもそうなのだが、陸路で国境を越える時にバスやタクシーの運転手や、パスポートを預かる助手の存在がとても頼もしく感じられる。この時も、おそらくカザフ人であろう助手が、終始僕の存在を気にかけてくれているのがわかった。

 1時間ほどの間に2〜3回ゲートをくぐりながら、ほぼ無人地帯をバスは走る。カザフに入ったとたん、イーニンでのうるおいに満ちたオアシス風景から一変して、乾いたステップ(草原)が広がっている。たまに見かける樹木も、オアシスでおなじみのヒョロ高い木から、ずんぐりした潅木がふえてきた。濁流のイリ川も渡った。水が勢い良く湧き出しているところで、トイレ休憩があった。日差しがかなり強い。

民俗楽器ドンブラで歌う女性のカセット うたたねから覚めると、ゴツゴツした岩山の中を走っている。やがて再び草原になり、樹木が増えてきたなと思ったら、可愛らしい家々の集落が現れた。高い木々に囲まれた沿道に野菜や果物の露店が広がっているところで、食事休憩。中央アジア・ロシア語圏に初めて足を下ろす瞬間だった。おばさんのとびきりの笑顔にホッとして、ブドウ=ヴィノグラード、トマト=ポミドル、林檎=ヤブロカ……、などと教えてもらううち、若い子たちに囲まれた。東京から来たのかなどと聞かれる。

 「東京バリショイ(でかい)京都マーリンキィ(ちっこい)」など、初ロシア語コミュニケーションを楽しんでると、バスの助手が「おっ」という顔で楽しげに見ている。他の乗客たちはいつのまにか乗り込んで、ちょっと邪魔くさそうな顔で待っていた。地図で確認するとどうやらシェレクという街のあたりだ。ああいう、沿道の小さな集落でいつか泊まってみたいなあ。

 最後まで静かなバス旅だったが、一度だけ、青い目をした老人が歌い出したことがあった。よくのびる高い声で、突然歌い始めたのだ。ひとしきり歌うとまた、もとの沈黙が戻ってきた。

 夕方になり左手(南)に雪をかぶったアラ・トー山脈が現れた。集落がだんだん密になり、ガソリンスタンドではやたら肉惑的な女の子が働いていた。アルマトィ市内にさしかかると乗客が少しずつ降り始めた。サイランのバスターミナルで、助手とも「ホシュ!」とお別れ。荷を下ろす時、おばあさんのを一つ運んだら「ラハメット」とお礼を言ってくれた。

 パンフィロフ公園方面なら一緒に行こうと、昔の知り合いそっくりの中国人とタクシーへ。500tg(テンゲ)だというドライバーたちには「ニェット!」と、彼は断固たる態度で拒否し続け、腕に刺青のある初老のロシア系運転手と300で話がついた。中国人が降りたのはガスティニツァ(ホテル)じゃなくて自分の家なのだという。カザフ人には気をつけろと言い残して、その古いアパートに消えて行った。

旧ソ連・警官の洗礼

 いくらか渡して、そこからパンフィロフ公園まで行ってくれるよう刺青運ちゃんに頼んだが、なぜか彼は金を付き返すので、トレ・ビー通りを歩いて行くことにした。樹木が多く、道ゆく人はロシア美人も目立つ。目星をつけていた安宿についたが看板の名前が違うのでウロウロしていると、でっぷり太った警官がにやつきながら「パスポート見せろ」とやってきた。「パチムー(なんで)?」と抵抗を試みたが、ほか2〜3人のにやついたおっさんにも囲まれた。「わちゃー、これがウワサの、旧ソ連悪徳ポリスか!」と緊張する。

 断じて渡さぬつもりでパスポートを見せたが、簡単に取られてしまった。ほかのおっさんと、にやつきながら談笑しているのが非常に不気味かつ不愉快。英語混じりで「今着いたところや。カズコントラクトを探してる。」というと「それならここだ」と、返してくれた。宿の名前が変わっていたのだ。彼らはあっさりと立ち去ったが、冷や汗が残った。

 腰を痛めている若い女性に案内されて部屋を見たが、野外食堂もあるし角部屋で居心地よさそうだったのでチェックインした。荷を下ろすとすぐに、近くのACSという旅行代理店へ行った。中央アジアの国では、旧ソ連の名残りのレギストラーツィアという面倒くさい登録をしなくてはならんし、ここアルマトィではキルギスやウズベキスタンのビザ取得……と、手続きに追われそうなのだ。さっさと動くのが肝心だと思ったのだ。

シャシリク焼きのリナット  ところがACSは閉まったところだった。出てきた男性に「今日着いたところで、どうしても急ぐんだ」と早口で訴えたら、ギョッとするほどきれいなおねえさんのところに連れて行ってくれた。そのトゥルカイェヴァ嬢とロシア語であいさつし、後は英語で、カザフのビザ期限内にキルギスとウズベキスタンのビザ取得をしたい旨を伝え、明日からさっそく取りかかりましょうということで握手して出る。英語でほぼ完璧なコミュニケーションがとれる上、美人だし、ウキウキして夕暮れの通りを宿へ戻る。大学が近いせいもあるが、街路樹がいっぱいで実に美しい街だ。

 近くの売店でミネラルウォーターを買ったが、どうやら炭酸入りしかないようだった。しかし、売り子の陽気なアイグルともロシア語でしゃべれた。帰ると、おいしそうなピラフかなんかをテラスに運んでいる。大ママに食べたい旨伝えると「ピェーレツ?」と言われた。「ピェーレツって何やったかいな」と待っていると、ピーマンの肉詰めを持ってきてくれた。美味い!少し苦労して伝えた結果、ビールも頼めた。従業員の子どもと遊びながら夜風の涼しいテラスで食い、飲む。この家庭的な宿でロシア語を磨くとするか。

旅行会社のトゥルカエヴァ嬢

 カザフスタン2日目の朝、熱っぽさはすっかり消えていた。外は曇ってひんやりと涼しい。ACSへ行くと、トゥルカエヴァ嬢は今日は黒いワンピースで決めている。他の従業員もスリットの入ったワンピースとか、やたらと色っぽい格好で働いている。こちらから頼むまでもなく、パスポートに代わるレターを渡してくれた。きのうの警官の件を話し、「とても助かる」と礼を伝えた。午後にパスポートを取りに来てその足でキルギス大使館へ向かうという段取りを確認して、地図を求めて街に出た。

 売店に寄って、かなり美人だが歯が一本抜けてるせいでどこかひょうきんなアイグルから、ロシア語プチ・レッスンを受ける。国際電話はどこから掛けられるかとかの情報も得る。午後になってACSへ行くとトゥルカエヴァ嬢が申し訳なさそうに、手続きが少し遅れてるみたいだと告げた。キルギスに急いで行ってしまう必要はないし、アルマトィが気に入ったからそれも好都合だと答えた。

ロシアのアイドルグループ  ゴーリキー公園の樹間でくつろいでいると青空が広がってきた。動物園に入り、ネコ科のオリが並ぶところで黒ヒョウの赤ちゃんや山猫を見ていると、子連れの人たちが皆一様に「マーリンキィ(ちっちゃいね)!」と言って通る。日本人そっくりのキルギス美人とプロレスラーみたいな2組の母子が、「タバコある?」ときいてきた。異国で見るニホンザルには、特殊な郷愁をおぼえた。そういえば、カザフに入ってから、街でごく普通にネコを見かけるようになったのも楽しい。中国では、北京の路地を走り抜けるのを一回見たきりだった。

 電話局で同居人へ国際電話をするが、話らしい話をする間もなく切れた。彼女もネコも元気にしてるらしい。あすはインターネットカフェを探さねばなるまい。
 アイグルの売店でウォッカを買おうとすると「没有(メイヨウ)!」という返事が返ってきた。中国語もわかるのかー! と、また話が弾む。

俺に、てきとうなこと言うな

 宿に帰ると、シャシリク(串焼き)係のリナットがにこやかに迎えてくれた。彼はいつも大音量でラジオをかけて、楽しげに火をおこしたり串をひっくり返している。ゴーリキー公園の有線でもくり返しかかってて、耳から離れなくなったロシアポップスがある。「俺に、てきとうなこと言うな」というリフレインが印象的なアトヴェティ・マシーンキィというアイドル・グループの曲。そのリフレインを歌って、リナットとはずいぶん盛り上がった。

従業員の子どもたち  初日は無愛想でつっけんどんだったショルパン(カザフ語で星)という従業員も、僕がちょっとでもロシア語でしゃべるのを見て、急に愛想がよくなった。彼女の4歳ぐらいの娘は唾を吐くのが自分ブームみたいで、いくら怒られてもプップッとやっている。

 野外でリナットらと食事をするのは楽しかったが、ビールは外で買って部屋で飲むのが確実に安いとわかったので、歩いて5分ほどのアイグルの売店へ行く。「ヒデヨ!」もう名前を覚えてくれている。「あけてあげようか」「いや、ガスティニーツァで飲むからいいよ」「どこに泊まってるの?」 すぐ近くだと宿の名を教えると、なにやら「はは〜ん」と意味ありげな顔をした。カザフ人とロシア人の微妙な何かあるのか?その時はよくわからなかった。

 宿に戻ると、今朝は親切に電話局への道を教えてくれたアイダルという兄ちゃんが、酔ってるのかドローンとすわった目をしている。「OK?」といって放り投げるように鍵をよこしてきた。大ママも、何かくたびれた様子。さて、明日はビシュケク(キルギス)からウズベキスタンへの陸路ルートの安全性とか、キルギス・ウズベクでの武装ゲリラの情報(ペキン滞在中に、米国人の誘拐→自力脱出という事件が報じられた)なんかをトゥルカエヴァ嬢に聞かなくてはならない。

ぼろギター、アルマトィに死す

 起きて、部屋でロシア語を勉強したあと、久しぶりにギターケースを開けたら……。見てはっきりわかるほどに、ネックが反り返っているではないか! もともと拾い物で、ろくに手入れもしてないぼろギターではあったが、新彊から中央アジアの極度の乾燥にやられたようだ。中国側ボーダーでの謎が解けた……。やれやれ。

 楽器屋はないかと、アイグルの売店に尋ねに行くが彼女は知らず、「ミュージシャンだったの〜、なんで子どもいないの」などと無駄話をする。30過ぎた大人に子どもがいないなんて、けしからんというのだ。いや、俺はそれどころじゃなくて、この旅でギターが弾けないほうが致命的だ。修理工具を求めて中央バザールへ走った。

 中央アジアのバザール初体験である。しかし、旅情だのエキゾチズムを楽しむどころじゃなく、今はただ「ねじ回しとネジ」が欲しい。ところが、このねじ回しが、なんか頼りないのである。工具を売ってる一角をかなり見たが、おもちゃみたいな代物しかなかった。

 腹も減ったので、屋台でシャシリクを食った。ウィグル自治区のは塊が小さく、スパイスが効いていたが、こちらでは大ぶりで味付けもあっさりしている。ボリュームのある焼き鳥といった感じだ。2本で腹いっぱいになった。

 パンフィロフ公園の木陰で、おもむろに修理に取りかかったものの、ネジの頭がすぐバカになってしまい、話にならなかった。ダウドという大学生が通りかかり「わー、こりゃ、ギターとは言えないね」。すわって、ロックの話とかインターネットカフェの場所を教えてもらったりする。「ぼくらの国の女の子はどう?」「クラシーヴァヤ(きれいやね)」「何か、いやな目には会わなかったか?」「着いてすぐ、警官にからまれかけたけど、会う人はみんな親身になってくれる」
大人も熱中するサーカス  どうやら修理は断念せざるを得ない。このカザフスタンで、手ごろなギターなんか入手できるんだろうか?

 しかし、アルマトィに来てからというもの、道ですれ違う人に「火ある?」とか「何時?」とよく聞かれる。日本人だからといって街で振り返られるということが、ほとんどない。肌の真っ白なロシア美人がいるかと思えば、キルギス人やカザフ人の中には日本人や朝鮮人と区別がつかない人がたくさんいる。

 ギターの故障で気が滅入ったまま目をさまし、気分転換にサーカスを見に行こうと思い立った。初めてトラム(市電)に乗ってみた。初めての街での初めての乗り物はいつも緊張する。遊園地に着きチケットを買うと、チアガールの練習風景やらアイスクリームの売り子のねえちゃんやら、ワイヤーにぶら下がって滑空する子どもをガシッと受けとめる係りのマッチョな兄ちゃんの仕事ぶりやらを、ボーっと見て過ごした。

 サーカスはモスクワからやってきた一座で、スケートサーカスだった。親子連れが、たくさん。見せ場で失敗した時は、しっかりやり直して見せていた。ネコサーカスの映画を観たことがあったんで、ネコが出てこないかと期待したがそれはなかった。終わって、出てくるロシア美人を写真に撮ろうとしてたら、若いママがツカツカとやってきて「あんた、何撮ってるのよ。」とえらい剣幕で怒られた。

 ロープウェイで見晴し台のあるキョクトベ山に登り、山道をのんびり歩いて下った。見下ろすアルマトィの街は、緑が深くてやはり美しい。家畜の糞がころがる山道を気分良く下っていると、突然犬が飛び出した。上半身裸でウォッカをあおってるおっさんが、「たばこないか?」
 小1時間かけて宿にもどり、ザックを重しにのせておいたギターの様子をみたが、反りが直る気配は全くなし。やはり買うしかないようだ。それにしても、なんで受付でコンドーム売ってるんだろ?

日本人3人、たちまち捕まる

 二日ぶりにACSのトゥルカエヴァ嬢としゃべり、気をもちなおしてインターネットカフェに行き、友人と同居人に長いメールを送った。コーカサス方面からバイクでやってきたという、ヒゲの日本人K君と会う。一緒にメシでも食おうかと歩き出すと、今度は留学生のO君と出くわした。カザフスタンにはふたりしかいないという日本人留学生と、おそらく数人しかいない旅行者が3人鉢合わせしたのだ。来て1年半ほどのO君のロシア語は、貫禄すら感じられる。(そしてそのことは、この直後に、より鮮明となる)一方、K君は英語と日本語でつらぬいている。カスピ海からカザフに入り、ほとんど野宿という、過酷な旅をしているのだった。日本語を話すのは2ヶ月ぶりという。

さようなら、こんにちわ  ふたりとも、ギター探しにつきあってくれるという。O君が、カザフの警官はかなりうっとうしいから、ひとりで繁華街をウロチョロするのはなるべく避けた方がいいと言う。ツム百貨店へ見に行くと予想以上に品ぞろえがよくて、まさに求めていたサイズのがあった。値段も悪くない。念のため、ギター修理屋をのぞく。機関車をあしらったドアを開けると、ロックな格好の子がいた。親父は「こりゃー、もうギターとは言えないねえ」とさじを投げた。
 そこにいた、マックスと名乗るロック小僧と仲良くなり、「明日家に来ないか?バンドの連中が集まるから」と誘われた。もちろんO君の通訳を介してだが。自称フォーク初心者のK君がしきりとうらやましがっていた。

マックスの仲間  さっきのギターを買いに戻る途中、K君のドルと僕のテンゲ札を交換しようと、不用意に道端で金を出したのが運の尽きだった。気づいたときには小太りの警官3人に囲まれていた。O君の抗議もむなしく、3人ともパトカーに押し込められた。警官の1人はブロークンな英語もしゃべるようだったが、俺らは英語をしゃべるまい、と意志一致した。頼もしいことにO君が携帯を取り出して、知り合いの警官と日本大使館に電話してくれている。大きな警察署に着いた。

キスしてお別れ  「僕と別々にされるかもしれないから、その時はこうやってかけてください」と、携帯を渡そうとしてくれたが、結局3人とも同じ部屋に連れこまれた。しかし、僕がACSでもらったパスポートの預り証には何の問題があるわけもなかった。K君の場合、へんぴなカスピ海側から入国したため、外国人登録の手続きに不備があると言えば不備がある、ということだった。だが、しまいには年配の警官がO君と相撲の雑談を始め、わけわからぬまま握手して釈放。いきなり日本人が出会って、いきなり、これである。O君の堂々たる対応には、感謝あるのみだ。1年半の間に、相当な修羅場をくぐってきたに違いない。

ギター焼き鳥

 警察署を出たところで白タクに乗り、ツム百貨店へ戻った。このあとのウズベキスタンでもそうだったのだが、白タクというものが、普通に存在するのだ。つまり普通の人がいつでもタクシーに早変わりし、それが交通機関として立派に機能している。値段にも暗黙の相場があるのか、もめてるのを見たことがない。この時は実直そうなおじさんとその娘の乗った車だった。さっきのギターを購入し、3人でお疲れさんのお茶を飲みアドレス交換をして、意気揚揚と宿に戻った。

ギターで焼き鳥  リナットに頼んで、壊れたギターを薪に、シャシリクを焼いてもらった。その前に、お別れのキスをして、THE WHOのピートタウンゼントあるいはバカなパンクスよろしく、地面に叩きつけて解体した。こんな時しかできないからね、パンクスの真似。従業員のチビたちが神妙な顔して、ギターの破片を拾い集め、リナットが楽しそうに焼いてくれた。

 好青年だったり目のすわった酔っ払いだったりするアイダルが、今日は酔っ払いの顔で、“汎トルコ主義”を熱っぽく語り始めた。トルコからカザフにかけて皆兄弟みたいなものさ、でも中国のウィグル、あいつらは別だ……アイダル=月の旗=一級の戦士っていう意味さ。こんなことを言ってたようだが、新しいギターを早く弾きたくて、話半分に聞き流していた。やがて、ヘロヘロに酔っ払ったウズベキスタン人と、その連れらしきマッチョなカザフ人が、何やら言い寄ってきた。うっとうしい空気になってきたので、部屋に退散した。

カザフのギター小僧

 朝一番に、日本大使館へ昨日の件での「ご心配おかけしました」と、この先の旅程での危険情報を仕入れに行った。キルギス〜ウズベキスタンの陸路越えは是非とも止めてくださいよ、と釘を刺された。

 昼過ぎ、約束どおりにマックスがやってきた来た。コンピューター技師でマネージャー兼キーボードのヴィクトルを連れて。ひょろっとした彼は、かなり日本語を話す。3人で白タクに乗り、集合住宅のマックスの家へ。彼は打ち込みに合わせてギターソロを弾きまくる。無邪気なギター小僧。ヴォーカルの女の子と化学教師のベーシストもやってきた。話によるとマックスは10年以上、アルマトィの人気グループで弾いていたが、今のメンバーは集まったばかりなんだという。

マックスたちと俺  カザフのバンドが日本にいったら客は来るだろうかとか、スタジオ料金はいくらするんだとか、日本語&ロシア語&英語チャンポンの会話。マックスは、自分がききたい質問だけヴィクトルに伝えると、女の子とピアノでなにやら熱中し、ヴィクトルが訳して答える時だけまたこちらを向いている。やることに無駄のない男である。僕のバンドの音をMDでかけると、彼らニヤニヤしながら聞いている。ベース兄ちゃんが、ドラムがすばらしいと誉めていた。会えてよかった、互いにがんばろうやと握手。ヴィクトルがトロリーバス乗り場まで送ってくれた。

 O君が、知り合いのパーティーに誘ってくれた。今日は大ママの姿が見えず、宿の3人姉さんはどことなく暇を持て余しているようすで、僕に質問攻撃を浴びせてくる。生活感あるのにキュートな人たちで「カザフスタンの女の子欲しい?」とか言われた時にゃクラクラしたよ。やがてO君とヒゲのK君が、今日イーニンから来たという秋田の人をつれてやってきた。

 友達の妹の誕生パーティーらしい。アパートにつくと、入り口の厳重さにびっくりした。そう言えば銀行にはむき出しの小銃を下げたガードマンがいたなあ。酒屋でも金網越しに買っていた。
 親戚や若い子が迎えてくれたが、娘たちはもう食べ終わったらしく、大人と日本人だけでテーブルを囲んだ。ちょっとがっかり。いや!しかし5本の指をつっこんで食べるカザフの伝統料理をはじめ、大ごちそうだった。「お、ギターがあるじゃないか」というので、K君がつっかえつっかえ「なごり雪」を歌い、続いて僕が怪しげなロシア語の「黒い瞳」を歌うと、おじさんたちがおおよろこび。調子に乗ってマヌーチャオを歌うと、奥から娘たちも出てきて、ペットボトルを振り回して踊り始めた。「そのヒゲ剃ったら女の子紹介してあげるのに」と、K君がおばさんたちにからかわれている。秋田の人は真剣に気に入られたらしく、質問ぜめにあっていた。

 宿まで送ってくれたO君の友人が「このホテルは泊まらないほうがいいなあ……」という。「田舎者が多いし……、まあ、気をつけて」

ワイロに屈服した俺と拒絶したK

 朝、くたびれて事務所のソファに寝転がっていたアイダルに最後の2泊分を払いに行くと、またもやラりったように「OK〜」。どうも、この男はヤバイなあ。さて、張りきって旅行代理店ACSに行くと、トゥルカエヴァ嬢はカーリーヘアにラメの入ったTシャツと、相変わらず華麗かつド派手にキメている。今日、自分でキルギス大使館へ行き、明日ここでウズベキスタンビザを受け取ったら、アルマトィでの仕事はおしまい。想像してた通り、ビザ取得に振り回されて身動きはとれなかったが、アルマトィの街をのんびり楽しめたので良かった。

アルマトィの宿で  バザールで絶品のナンとプロフ(ニンジンの甘味がちょっときつかったけど)を食べ、キルギス大使館へ。トゥルカエヴァが教えてくれた通り2時間前に並ぼうと、2時に着いたら、まだ1人しかいない。「2番手か、ラッキー」と思ったが、予約がいたのか、守衛の判断なのかわからないが、ずいぶん後回しにされた。ヒゲのK君もやってきた。

 再三にわたり、「俺のカザフ滞在期限はあさってだから、どうしても今日必要だ」と、守衛に力説した。すると「中に電話してやるから、あとで内緒で10ドルくれ」という。背に腹は代えられずOKしてしまったが、K君は「こんなせこい奴はアフリカにもおらんかった。あっちはナイフで脅したりで、やることは恐かったけど、ここみたいに陰険じゃなかった。旧ソ連は腐ってるな」と憤慨していた。

 ワイロが効いたのかどうか知らないが、無事にキルギスビザを取得できた。執務室では何のトラブルもなく、用紙に記入したらあっさりとハンコを押してくれた。K君も守衛からワイロを要求されたそうだが、断固はねのけたそうだ。さすが5年も世界を回ってる男。押さえるべきはしっかりと押さえておるなあ。

 夜、リナットらとギター奏でて遊んでいると、やたらギターのうまい兄ちゃんがフラメンコ風のしぶいカッティング方法を伝授してくれた。さらに、仕事を終えたショルパンがはしゃいで踊りだし、フラメンコもどきで一同大はしゃぎとなった。キルギスへ発つ前夜の、どんちゃん騒ぎ。

カザフ〜キルギスの国境は素通り

 久しぶりにシャキッとしているアイダルに、部屋の鍵を返し握手してチェックアウト。アイダルの店で炭酸なしの水を買い、サイランのバスターミナル目指してトラムに乗った。途中で止まったまま進む気配がないので降りてみると、前のほうで事故があった。バスに乗り換えてサイランに到着。

 ビシュケク(キルギスの首都)行きのミニバスは、かなり窮屈だった。いったん街を離れると、単調な草原が果てしなく続いていた。さっきまで一週間暮らしていたアルマトィが、砂漠の真中に現れた幻だったような気がしてきた。途中のトイレ休憩でも、狭い座席を動くのが面倒くさくて、頼まれるままに隣のねえちゃんのカバンの見張りをしていた。ゆるやかな峠を下ったらすぐに国境だった。国境ゲートで停車することもなく、あっという間にビシュケクに着いた。


キルギスへ続く