俺がこの目で実際にみたパレスチナ(2)/ エルサレムからナブルスへ-2000年11月

11/5 エルサレムへ

今朝も快晴だ。ひんやり心地いい朝の冷気の中、歩いてアブダリ・バスターミナルにむかう。それで もザックとギターを持って20分も坂を登ると汗をかいた。おまけに、人に尋ね尋ねしながら、それ自 体が坂になってるバスターミナルを無駄に一周してしまった。アンマンからヨルダン川へのくだりは、 新しいハイウェイを走っているのか、7年前とはえらく印象が違う。 ひたすら乾いた風景の中をぐんぐん下って行く。

 ヨルダン出国はなんともあいまいな感じ。とぼけた顔の猫がまとわりついて回る。  そして緊張のイスラエル入国である。セキュリティーの兄ちゃん姉ちゃんは、皆実に若く一様に礼 儀正しい。しかしチェックは容赦ない。なぜかギターはフリーパスだったがザックは徹底的に調べら れた。それでもこれと言って入国理由を問われるでもなく、以外にあっさりとしていた。両替所では 若い従業員がロシア語でしゃべっていた。

 エルサレムに向かうセルビス(乗合タクシー) は運転手も客も全員がアラブ人。アンマンからとは 逆に今度は、地の底からぐんぐん上って行く。下町で客を下ろしながら旧市街へ向かう。軍のチェッ クは一回あったのみで、確実に見覚えのある景色に向かって行く。旧市街のダマスカス門で降りる。 門の周りには露天がひろがり、賑わいを見せている。ほとんど緊張感らしきものが感じられない。7 年前のユースホステルは閉鎖していた。石畳の旧市街を歩き回ってほどなく、ホテル・アル・アラブ というユースを見つけた。なかなか快適そうな、屋上の巨大相部屋に落ち着く。物価の高いイスラエ ルでは今までのような安宿の個室暮らしは、とてものぞめそうもない。

 国境越えの軽い緊張と疲れ。昼寝をして夕方の旧市街に出る。アラブサンドウィッチを買って食う。 ミニバスのたまり場で、ナブルス行きの情報集め。入れなかったら戻るしかないと言う人もいれば、 日本人なら入れる、とさまざま。5時半というのに、露天は完全に店じまい。夕方になってイスラエル 兵が目立つ。外出禁止令か?

 宿にかえって、ムハンマドに電話すると、朝なら問題なく来れるはずだとのこと。早速明日ナブルス へ行く事に。

11/6 以外とあっさり、ナブルスへ

朝、地図入手と両替だけはせねばならぬ。日当たりのいい屋上で思い思いに過ごしてるスタッフや旅 行者に、「ナブルスに行くけど、入れなかったら今日戻るかも」とあいさつして出る。

 ラマラ行きのセルビスに乗った。僕のあとに若い女性が乗ってすぐに出発。楽器なしで延々と続く、 妙に切ない歌がながれていた。後で知ったのだが、コーランのカセットだった。ラマラの手前で、や たらと裏道に入るのは、イスラエル軍の検問を避けるためだろうか?裏道なのに混んでいるし。とも かくラマラにはノーチェックで着いた。

 ラマラと言えば、93年の旅行で、サーブリーン(エルサレムを拠点に活動している、パレスチナの音 楽集団。93年には来日公演も果たしている。)のメンバーの家にお世話になった思い出深い町である。 (そして今、アラファトがイスラエル軍に監禁状態に置かれている) その時は音楽関係者や画家、詩人といったいわゆる文化人の住むエリアに居たためだろうか、ラマラ に対して洗練されたこぎれいな印象を抱いたのだが、バスターミナルのある繁華街は、水タバコをくわ えた男達でいっぱいのアラブ風カフェや、チキンの丸焼き屋が並ぶ、猥雑なアラブの町そのものだ。ナ ブルスに入れなかったときのために、ホテルはないかと見まわしたが繁華街にそれらしいものは見当た らず。

 ナブルス行きのバスの客は全員が男で、すぐに満員になり出発。7年前の夜、詩人のフセインやガザ 出身の画家アリと歩いたと思われるあたりを通る。街を抜けると、石灰岩とオリーブの木に覆われた 山々の起伏がどこまでもひろがる。やはり、魅力的な土地だなと思う。

 うたた寝して目がさめたとき、バスは止められ、イスラエル兵が前に乗り込んで来ていた。全員に行 き先を尋ね、全員がナブルスと答えている。僕もさりげなくナブルスと答えたが、もう一人の客と一緒 に降りるように言われた。巨漢の兵士とエチオピア系か黒人兵と、さらにもう一人。リーダー格の巨漢 兵士に英語で質問される。ウズベキスタンのビザを見て、期限切れがどーのこーのと言ってるが、日本 人はイスラエルのビザ必要無いんだと、別紙に押してもらった入国スタンプを見せると、「あ〜、アレン ビー橋から来たのか」と納得。「なんで、ここにいる?」と聞かれ、「友人に会う。2回目の訪問だ」と いうと、「エンジョイしてるか?」「昨日着いたばかりでわからんけど、エンジョイしたい。」というや りとりがあって、最後には例によって「日本人ならカラテできるのか?」とか言われてOK。 ナブルスの岩山・頂上にイスラエル軍基地

 現地パレスチナ人にとっては抑圧者以外の何者でもない彼らイスラエル兵だが、昨日の国境での係官に しても、一定の礼儀と観光客へのwelcomeなポーズを守っているところが、スマートと言えばスマートで あり、旅行するだけの身にはありがたくさえ感じられる。

 その後はチェックのないまま、見覚えのある巨大な丘がぐ〜んと目前に迫って、ナブルスの街に着い た。7年前のおぼろげな記憶をたどり、丘の中腹の家々の並びを目指す。アラブピザ(これまた、うまい) を買い、そこで画家のムハンマドを知ってるかと聞くと、この道をずっと登って行って木のところで曲が ったらいいという。その後、もう一人彼を知る人に会ったがその人によるとまだ1kmぐらいあると言う。 結局、通りがかったタクシーの運ちゃんが雑貨屋から電話してくれて、確かに見覚えのある通りに着い た。そして、がっちりとしたムハンマドが笑顔で出てきた。

ムハンマド一家と再会

 彼の従兄弟のオフィスで、彼らとコーヒーを飲みながら、「ナブルスに来るのはもっと難しいと思った。 衝突は今もあるのか」と聞くと「夜になったら銃火やconflictが毎晩のように見えるはずだ」という。 最悪だったのは半月ほど前で、パレスチナ人が入植者を殺した報復に、極右の入植者らが街に銃撃に出 てきて死者がたくさん出たのだという。ムハンマドたちもしばらく街から出られなかったらしい。

 彼の妻サマールは、7年前と全然変わらぬ美しさだった。アラブの女性は子供を生んだら太るとばかり 思っていたが、この人は4人も子供を産んでなお、すらっとした美人のまま。末っ子の赤ん坊が、7年前 のラカンと同じ年頃。ソファで身をくねらせてふざける仕草がまったく同じだ。 ムハンマド







 ムハンマドの作風が、ガラリと変わっている。絵ではなくて紙粘土を使ってキャンバスからもはみ出し た、ワイルドで立体的なものが多くなっている。彼自身も英語がずいぶん流暢になってるし、やり手っぽ い凄みが出てきたように見える。7年前はもっとシャイだった。ヨーロッパのいろんなアーチストとの交 流が増えてきたからな、と言う。

 あしたはいろんな人がここに集まって、この混乱した状況についてのミーティングがある、との事。僕 がいてもいいのか、状況なんて全然わかってないよと言うと、「そんなことどうでもいいんだよ。こっち は権利と自分らの国を求めてて、イスラエルはずっと抑圧してる。大状況は実にシンプルなんだ。でも、 もう政治的な解決は個人的には、だいぶ前にあきらめてる。政治は、どうしょうもないよ」 ムハンマドの息子ラカンとラーウィド

 昼飯時になり、子供3人が学校から帰ってくる。ラカンが立派なお兄ちゃんになっていて、はにかみなが らも英語で話しかけてくる。次男坊は、はじめ気に食わぬ気にこっちを見ていたがギターで末っ子が遊び 出すと、負けじとばかりに触りだし、ムハンマドに怒られている。女のこはサマールにそっくり。男の子 ふたりはソファにちょこんと座ってテレビをみながら、おとなしく食べている。

 食後、ムハンマドのアトリエで話しているとサマールがマロニエ (これはうろ覚え。本当の名前がわ からないが、この一帯で紅茶に入れるハーブ) 入りのお茶を出してくれる。この匂い!パレスチナに来 て、友人と再会してるんだという喜びでいっぱいになる。7年前はほんの赤ん坊だったラカンが、さりげ なく握手を求めてくる。7年の歳月というのはすごい。隣でサマールが子供の勉強を見ているのが聞こえ てくる。7年前には英語を全くしゃべらなかった彼女が、電話口で英語をしゃべったのも子供と一緒に覚 えたからなんだろうか? ナブルス

 夕方、ムハンマドと一緒に街に下りてインターネットカフェへ行く。彼はどんな近くでも必ずタクシー をつかまえるのがおかしい。インターネットカフェの兄ちゃんが「この状況、どう思う?」と聞く。「来 る途中、1回だけ軍のチェックで降ろされた」「兵士は怒ってたか?」「いや、そうでもなかった。友人に 会うといったらすんなり放してくれた。」彼ともゆっくり話がしたかったが、電話がかかってきた。

 男ばかりであふれる、アラブ喫茶店にもつきあう。ビリヤードの突きのコツがわからぬまま敗退。ムハ ンマドの友人らと"気"や東洋医学の話をしながら夕暮れのナブルスの街をもどる。 銃撃戦が毎晩あるとはおもえぬ、のどかな会話。しかし、店はほとんど閉まっているし、ところどころに 死者(ほとんどが少年といってもいいほど若い)を悼むポスターがはってある。

銃声と日常

 ムハンマドの家への上り坂を行きながら、反対側の丘を指差し、イスラエルはあのてっぺんから撃っ て来るんだよ、というがまだ全然ピンと来ない。家の階段を上がってると突然、銃声が始まった。サマ ールや子供らも戸口に来て外を見ている。赤くてしょぼいロケット花火みたいなのが、遠く確かに飛び 交っている。ムハンマドは 「クレイジー」 と言っている。誰が撃ってるのか聞くと、パレスチナ警察 は関与してなくて組織(ファタハ?)だという。パンパンという乾いた音はM16で、空気を引き裂くような ババババッというのはイスラエルが撃ち返す500mmだとか。もう少し帰るのが遅いと、やばかったんじ ゃないか?もう1ヶ月、こんな状態が続いてるとのことだ。





ムハンマドの娘アヌード

 揚げ物のいいにおいがして来る。ラカンにアラビア語の単語を教わる。あの赤ん坊と7年後に英語&ア ラビア語でしゃべることになるとは!そうしてる間にも銃声の応酬、それにヘリまで飛び交っている。

 子供らはもう済ませているらしく、大人だけで夕ご飯。ホモスやナスの揚げ物、たっぷりの野菜をホ ブス(パン)で食う。うれしくておいしくて、「全部おいしい」と食いまくる。ラカンが横で「たまねぎ は….」と、次から次へと教えてくれる。その間も、すぐ近くを含めて銃声は散発的に続く。皆、全く 慣れている。「今の、めちゃくちゃ近いけど」 「戦争だろ、な?」とムハンマドは人ごとのように言 う。明日のミーティングに来るはずのイスラエルのグループが、彼らのいる村での軍との衝突の問題 で、来れなさそうだという電話がある。

 ムハンマドが「この7年で俺は変わったと思うか?」「作風が全然変わったし、何と言うか、エネル ギッシュに見える。前はもっとシャイだった。それに英語が(たがいに)うまくなったのか、前より コミュニケーションがスムーズだ。」 「いろいろ体験したし、きつい事もあったしな。英語はここし ばらくオランダ人やドイツ人と関係もってるから、うまくなったんだろう」  

 すぐ近くで銃声があるとサマールと顔をあわせて肩をすくめたりしている。11時半頃までそれが続 いた。「M16ってそんなにでかくないライフルだろ?そんなんで丘の上のイスラエル軍を狙って、 とどくのか?」「時々、たまに当たるみたいだぞ」

11/7 軍と向き合う、若いイスラエル人たち

今朝も快晴。末っ子を除く3人が学校へ行くってんで、てんやわんやである。Jeudey一族の砦のごと き、兄のオフィスへ行く。コンピューターやいろんな機器がならんだ日当たりのいい部屋で、朝ご 飯をご馳走になる。ロバの糞を燃料に、石で焼いたという"エコロジー"なホブスに、近くの村から の絞りたてのオリーブ油をつけて。

 バルコニーから、向かいの丘を双眼鏡でながめる。7年前にはなかったイスラエル軍の基地だ。こ うやって双眼鏡で見てるのが見つかっても撃たれるんやろうか。まさかね。

 きのうのインターネットカフェに向かう。ムハンマドは、ナブルスの街は中心の通りが一本あって 東と西に山がある、それだけ単純だ、と言った。しかし中心街へ行くにはパレスチナ自治政府の建物 の前や、下町を歩いて思いのほか遠い。夕べとは打って変わりかなりの人出でにぎわっており、少し 迷った。2時間かけて、夕べの銃撃のことなどを友人に送る。この感覚はちょっと伝わらんだろうなあ。 昼間の日差しはきつく、坂を登ると汗ばむ。学校がえりの子供がなにやら独り言をいいながらのんび り歩いてるのを見ると、日本の住宅地の昼下がりと大して変わらない。夕べの銃声がウソのようだ。 昼間のナブルスは、とことんのどかに見える。

 昼ご飯は、僕のためにマックルーバをご馳走してくれた。これはたっぷりの羊肉や野菜を混ぜ込ん だアラブ風ピラフとでも言えばいいのか。ムハンマドがかいがいしく、サラダを作っている。7年前と はえらい違いやなあ。娘のアヌードや末っ子のラービアが次々にまとわりついてじゃれる。

 ムハンマドが電話で、家への道順を教えている。ほどなく若い白人男女がやってきた。ジャニス・ ジョプリンを細く美人にしたような、しゃがれ声のネタ・ゴランは、サマールと抱き合って挨拶した 後、ひっきりなしに携帯に応対している。ひょろっとした兄ちゃんマウリシオはコロンビア系イスラ エル人で、マヌーチャオの話で短く盛り上がる。

 マウリシオとムハンマドが政治や革命のことを話している。「もう、20年前に政治は捨てた」 「どうして?」「俺にはもうたくさんだからさ」 そう語るムハンマドは、左翼的な闘争への想いを 全く切り捨てているのではない。「彼らの側に一番必要なのは、デモクラシーだ。彼らの中には、 何か特殊なそれがあるが、それではだめなんだ。」

ハリス村  ネタがずっと忙しく電話してるのは、ナブルスの近くのHaris村でイスラエル兵が発砲していて、 それを外国人の監視で止めさせようという話だとわかる。「あなたも来ない?」  ムハンマドは、はじめ重々しく「問題は二つある….」などと渋っていたが、隣人(これまたムハン マド)を運転手として紹介するという話に。もう3時半。「行くのなら、すぐ行かんと。5時になった ら真っ暗やし。」と、僕も行くハラを決める。やはり現場を見てみたい。ムハンマドも同行するとい う。頼もしい。人情と言うか、なんか熱いものを感じる。

 本業は薬商人という小太りでおとなしい隣人のムハンマドがハンドルをにぎり、彼の79年メルセデ スに4人乗り込む。車内ではネタがプレス一覧表みたいなのをひろげて、電話をかけまくり、受けま くり。すごい迫力である。わかりやすくて歯切れのいい英語で弾丸のようにこなしている。こんな 感じだ。  「ええ、今、ナブルスをはなれてハリス村へ向かってます。イスラエル人2人とコロンビア市民と 日本の市民のグループです。イスラエル兵士の発砲をやめさせるために"監視"に…」 監視というより、そこに居ることによってやめさせる、みたいな言い方をしていた。西日をうけて 石灰岩が輝く、ナブルス周辺の山並みが美しい。

 彼女の電話が一段落ついたところで、「もう長いこと居るの?」ととぼけた事を聞く。てっきり、 外国のボランティアだと思ってたのだ。彼女はイスラエル人で、長い間国をはなれカナダにいたが、 最近戻ってきたらしい。コロンビアから来たMaulicioもイスラエル人なのだった。両親(か、どっ ちか)がそうだったら、選びようがない(国籍を?)んだよ、と言っている。

 テルアビブ方面へ向かうハイウェイ沿いに、ハリス村はあった。1ヶ所だけ、イスラエル軍 に閉鎖されていない入口があり、そこから、入殖者&兵士と村人が対峙している、もう一方の封鎖 された入口へ車は向かう。緊張感をただよわせながらたたずむ男達の数が、次第に増える。 催涙ガスにやられたのか、眼帯をした子供の姿もある。 ハリス村

 カメラを出すべきか迷ってたら、ネタが「あなたカメラ持ってる?ぜひ撮ってよね」と言う。 「カメラに写される事は、gunより強力なんだから」 「カメラを出していいのかどうか、聞こうと 思ってた。場合によってはかえって危険を招くかもしれないし」 と言うとムハンマドが振り向い て、「そうだぞ、むやみに撮らないほうがいいぞ」と言う。マウリシオは、じゃんじゃん撮るべき だと言う。

 村の長らしき、インテリっぽい人(ナワフ)がネタに状況説明をしている。パン、パンという乾 いた音が聞こえるが、下のハイウェイから撃っているため見えない。ここでは、何をどう撮ったら いいのかわからない。たたずんでいる村の人にカメラをむける気力はないし。ナワフの案内で、最 近入植者に放火されたという付近で唯一の電気屋に車を止め、軍の発砲現場へ向かう。









発砲する兵士の説得に向かうネタ・ゴラン











 そこで初めて、イスラエル軍がオリーブ畑の中に散開して撃っているのを見る。夕闇が迫る中、 銃口からほんとうの銃火が見える。ネタが、ひとり、ずんずんと兵士の方へ歩いていく。僕はハイ ウェイから、ただただあっけにとられて見ていた。マウリシオはジープの兵士と言葉を交わしている。 それにしても、交通量の少なくないハイウェイで、こうも公然と一方的な銃撃があるとは。僕はさす がに近寄らず、ズームを使ってネタの姿を追っていた。時折、村の工事中の建物から少年が姿をあら わし、投石している。

 ネタの度胸にもびっくりしたが、発砲している兵士達が逆上や興奮する様子も無く、話をしている 様子にも驚く。2〜3分して彼女は戻ってきた。兵士らもジープに戻ってくる気配。近くの大きな入植 地Arie-elへの遮断を狙って子供らがこのハイウェイをcloseしようとした。それを阻止するための発 砲だ、という説明らしい。「発砲をやめさせるためにここに来た」というと、「いいけど、当たっても 知らんよ」と言われたという。また、村の側の"前線"へもどる。ガス弾で女性、子供が目やのどをや られ、10人ぐらいは怪我をしたという。あの距離から撃たれたら、当たりもするだろうと思う。

「 この樹はテロリスト」へ続く

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