俺がこの目で実際にみたパレスチナ(3)/「テロリストの樹」-ハリス村2000年11月
なんか、よくわからぬまま引き上げることに。村人たちも「さようなら」と手を握ってくる。少年
がひとり「アッラー・アクバル(アラーは偉大なり)」とわめきながら歩いていて、ムハンマドが苦笑し
ている。おとなしいムハンマドがまたハンドルを握り、79年メルセデスはネタ達を送りに一路ラマラ
へと向かう。ネタがまた電話でひっきりなしに報告を入れたり、一度は何か謝ったりしている。
「…..すみません。さっきは少しナーバスだったもんですから….. 」とにかく、マウリシオと2台の
電話を使ってすごい勢いである。一段落して、二人でヘブライ語でしゃべっていたが、急にニコッと
こちらを向いて「来てくれてありがとう」と言ってくれた。
明日はイタリアでのデモに参加するために発つというので、「すごいな。こんなすごい女の人はち
ょっと見た事ないよ。ゆっくり話ができたらうれしいけど、電話がまたすごいしなあ」というと、
「でもまだ、ラマラに着くまで、ゆっくり話せるわよ。」「イスラエル兵はdangerousで、happy
trigger(好戦的)だとばかり思ってたから、君がずんずん近づいて行っても兵士が何もしないの
にびっくりした。」「パレスチナ人以外は、絶対撃たないのよ。あなたが怪我をしたら日本政府と、
私を撃ったらカナダ政府と面倒なことになるでしょ。でもパレスチナ人は守る人がついてないから
動物みたいに撃てると思ってるの。」
ラマラの手前で、パレスチナ自治政府側の朴とつなチェックがあり、ムハンマドが僕らにパスポー
トを見せるよう促すが、なぜかネタとマウリシオは出そうとしない。パレスチナ兵は僕のパスポート
をさっと見て返した。
ムハンマドがややとがめる口調で、「チェックは受けなきゃ」。「わかってるわよ。でも今見せられ
ない。(持ってきてない?)のよ。あなた、さっさとあいさつだけして通過してくれたら良かったの
よ。私達がしゃべるのをやめたのは、このまま通過してというサインだったのに。」と言う。
「いや〜、チラッと見せるだけでいいんだよ。どうせ彼は読めないんだし。見せるだけでよかったん
だってば。」とムハンマド。「じゃ、見せに戻ろうか?」ネタが言うと、嫌みや文句でもそうは聞
こえないから面白い。
僕が撮った写真をさっそく現像して彼らに渡すという話になる。ヤバイ写真だけど普通の店で現
像できるのか?たとえば日本だったらスケベ写真の現像とか拒否されるけど、と言うが、彼らはそ
んなの全然大丈夫と言う。
ラマラのネタの恋人 (ムハンマドの親友のパレスチナ人)の家かオフィスで彼らとは別れる。「写
真よろしくね!」「今になったら、もっと撮っときゃ良かったと思うよ。びびってたからなあ。でも
君が兵士としゃべってるところは写したから」
ふたりのムハンマドと、夕闇のハイウェイを一路ナブルスへ戻る。77年に死んだエジプトの女性
歌手のカセットを聴きながら、高揚感あふれるドライブ。運転するムハンマドはイスラエル側のチ
ェックポイントでは、「シャローム!」と短く挨拶している。
ナブルスに入ると「もうシートベルトはずしてもいいよ」と言われた。街に自治政府の大きな建
物までありながら、どうして夕べみたいな銃撃が可能なのかきくと、「とても複雑なんだ。今走っ
てる道はパレスチナ側だけど、あそこに見えるのはイスラエル側だ。丘の上は全部イスラエルがお
さえてる。」 それにしても、こういう場所、こういう状況下では携帯電話がなかったら話になら
んのだなと思う。
帰ったら、ラカンがフランス語で話しかけてくる。こんなちっこいときから3カ国語も勉強する
とは、すごい教育レベルだ。サマールに「ラカン、フランス語も勉強。すごい」と伝えると
ムハンマドに同じこと言って笑っている。下の子二人は早々と眠っている。今日は静かやな、と思
ってたら、九時ごろからまた銃声が聞こえてきた。しかし、さすがに今夜はぐっすりと眠れそうだ。
11/8
朝トイレに出ると、誰もいないと思っていた居間で、ラカンが一人お祈りをしていた。とっさの事
でびっくりし、間抜けにも「おはよう」と声をかけてしまったが、一心に祈っていた。あまりに静
かなので今日は学校は休みかと思ったら、7時前からドタバタが始まった。ムハンマドの母が訪ね
てきて「日本は寒いのかい?」と聞いてくる。ムハンマドを介して「冬は寒いけど夏は暑いうえwetで
す」などとこたえる。ラーウィドがすきを見てはギターを触りにやってきて、ムハンマドに怒られ
ている。
昨日の写真を現像しに街に下りた。肝心の、イスラエル兵に語りかけるネタ・ゴランの写真はフ
ラッシュが届かず暗すぎた。あの距離からではどだい無理だが。謝る事はないが彼らにはくれぐれ
も期待しないように伝えねば。
坂を登ってもどると、隣のムハンマドが家に招いてくれた。一番奥に彼の趣味というパソコンが
あり、なにやら嬉嬉として説明してくれる。仕事には使っていないらしく、無邪気なパソコンおた
くなのだった。奥さんや子供達も帰ってきて、英語で話しかけてくる。やがて、画家ムハンマドの
次男坊ラーウィドが照れながら呼びに来た。ムハンマドは本当に忙しそうで申し訳ないとしきりに
言う。皆に別れを告げてバス乗り場へ下る途中、修理工場から兄ちゃんたちが「来い来い」としきり
に呼ぶので、お茶をいただく。手が油だらけなので腕と腕で握手した。タクシーの運ちゃんも彼
らも、「パレスチナはいいか?」と聞く。
軍のチェックにあうことも無く、エルサレムに着くと夕暮れ近かった。
11/9
エルサレム旧市街の、ホテル・アル・アラブで骨休め。ホテルに長逗留しているロシア人アレク
セイが、やたらとギターを催促する。英語をほとんど解しない彼は、恐らく旅行者ではなく、出
稼ぎ労働者か、移民ではないかと思う。ホンの片言のロシア語でしか意志疎通はできない彼は宿
の中でもちょっと浮いた存在だった。感心するとすぐに「ほ、ほ〜〜」と言うのが面白く、仲良
くなった。
ハリス村でいっしょだったマウリシオの家へ写真を渡しにに行く。西エルサレムの閑静な住宅街は、
東エルサレムのの猥雑な旧市街とは別世界だ。友人とシェアしているという、そのアパートで60
年代ブリティッシュロックのコレクションやら、初めて見るマノ・ネグラのベスト盤などを見せて
もらいながらのんびりしゃべる。ネタ・ゴランはエネルギーを全身から発散させて行動する女性だ
が、マウリシオは、ロックが好きな気のいい兄ちゃん、と言った感じだ。
「中東へ行くのは、少しビビっていた。イスタンブールでやっと英字新聞が手に入り、アンマンま
で来るとやっとナブルスの具体的な情報がわかった。でも人によって言う事はまちまちだしな。日本
の知人やら旅で知り合った友人は大丈夫か大丈夫かと、メールを送ってくる。」
「俺の親もコロンビアからしょっちゅう電話かけてくるよ。コロンビアだっていろいろあるのにな。」
「外の人のほうがよけいに心配するね」 「そうだな、でも実際、西エルサレムの爆発ではヒヤッとし
たよ」
クネセット(国会)のある丘のふもとにあるグランドまで歩き、彼が友人と「ほんの気晴らし」で毎
週やってるサッカーに参加。ウォームアップもなしにいきなり二手に分かれてはじめた。
Just for fun. No serious. ということだったが1時間半走ったら足が痛いのなんの。スイス、アメ
リカ、イタリアなどさまざまな国からやってきたイスラエル人たちとサッカーに打ち興じたのだった。
車で街まで送ってもらった。交差点でイスラエル人の小さなデモがあり、マウリシオは知り合いの
姿を見つけて手を振っている。「占領とパレスチナ人殺しに反対してるグループだ。My peopleさ」
スーパーで買い物をするマウリシオとはそこで別れた。
アル・アラブでぼーっとしてると、ロシア人アレクセイがぬぼ〜っと現れた。「イスラエル、仕事、
良くない。日本はどうだ?お前、仕事は音楽か? ジャーナリストが来て、アメリカ人が来て、毎日
衝突で、ダメダメ。」 ときどき「ほ、ほ〜う」というので真似する。味のある男だ。唐突に腕ずもう
を挑んでくる。きょうは朝からマッチョな一日だ。
11/13
ホテル・アル・アラブの屋上があまりに居心地いい。エルサレム旧市街の迷路のような町並みが、建
物の屋上どうしでもつながってるような、不思議な空間だ。ダマスカス門の露天で買ったハーブを、
昼間の日光で干したり、ギターを弾いてのんびりすごしながら、もう一度ナブルスに行くか、ネタ・
ゴランらの行動にも興味があるし、それとも旅を急ごうかと迷っている。
スペイン語でしゃべっている小柄な兄ちゃんと知り合った。アルゼンチン人のニコラスで、個人で
ドキュメントを撮っているという。もう1ヶ月半ほど、ヘブロンやガザ、ラマラを飛びまわっている
らしい。ジャーナリストか、と聞くとそうとも言えるし、そうじゃないとも言える、と言った。ハリ
ス村での話をすると、ぜひネタとコンタクトを取りたいと言う。
そうこうしているうち、ネタから電話。僕らが行った次の日にハリス村で14歳の少年が撃ち殺され
たのだ。僕が明後日、出国するつもりだと言ったら、明後日は、アラファトが独立宣言をするかもし
れないから、何が起こるかわからないし、国境越えはやめたほうが無難だと彼女は言う。「それより、
ハリス村にもう一度行かない?」
夕方、ダマスカス門を入ってすぐの旧市街の中で3人ほどの少年がイスラエル兵にチェックされて
いた。すぐ隣では水タバコをくわえたまま若い少年がじっと見ている。店じまいをしかけている大人
もじっとそれを見ている。ダマスカス門へ登って行く別の少年もちらちらと振り返りながら去る。
アルゼンチン人のニコラスが電話で、今日一日の行動の打ち合わせをしている。その合間に、アラビ
ア語のテキストで勉強している。僕もネタと連絡をとり、昼前にエルサレムを発つことになった。
フロントでは、ぽっちゃりしたイギリス人の女の子が、Rage against the machine のCDをガンガ
ンにかけている。「それ、俺も持ってる!」「そうなの?!」と盛りあがっていると、長逗留している
初老のドイツ人客が食堂のスピーカーを切ってくれ、と言いにくる。「どうしてよ〜、彼らグレートじ
ゃない!」 ロシア人アレクセイもぬぼーっと現れて身振り手振りでボリュームを下げてくれと言う。
「どうしてよ〜!Nice music なのに。」いやはや、なんだか愉快。
約束の時間に旧市街の外れで、ネタと、初老のイタリア人カメラマンと落ち合い、スキンヘッドで
一見こわもてのイスラエル人ノアの運転で出発。簡潔な歓迎の後、すぐに途切れない電話が始まる。
「…..そうです。村の人が、来てほしいplease と言ってます。」「Permanent presence (恒常的に
そこに居ること) を図るInternational Grass Roots Solidarity Movement(国際草の根連帯運動)
です。Haris村を最初のケースとして….」
何やらビビっている様子の相手との、歯切れの悪いやり取りの後、「彼は典型的なJewish ラディ
カルだったわ」と言って、ノアと何やら笑い飛ばしたりしている。
車は、見なれたラマラ経由のコースでなくて、どんどん、山あいをくだって行く。軍が閉鎖してい
るのだろう、いったん海沿いのテルアビブに出る迂回コースをとってるのだとわかる。
報道関係者ばかりでなく、他のグループや仲間にもひっきりなしに電話している。「あしたはもっ
と、そこらじゅうが閉鎖されるわよ。あしたより、今日こっちに来るべきだわ。あした、ハリス村に
いる事が大事なんだから。」
彼ら3人が英語でしゃべり始めると、もう僕にはついて行けない。わからん単語の意味を考えてる
うちにどんどん進んで行ってしまうからだ。テルアビブから大きく東に向かい、また石灰岩の丘が続
く風景に入っていくと、まもなくハリス村に着いた。
へブロンからやってきたドキュメンタリーのクルーや、何人かのアラブ系イスラエル人がすでに集
まっていた。互いに握手をしたのち、先週まさにイスラエル兵が散らばって銃撃をしていたオリーブ
畑を登って村に入り、ナワフたち村人の歓迎を受ける。日本人が一人いるというんで、ちいさな子供
たちが好奇心丸出しで僕について回り、拾い集めたゴム弾を見せてくれたりする。
根こそぎ引っこ抜かれたり、根元近くで切り倒されたオリーブの樹木が目立つ。発砲の邪魔になら
ないように、そして経済的なダメージも狙っての事だろうが、「この樹はテロリストである」いって
イスラエル軍がやるのだ。Nawafの家で状況の説明があるが、ときおり英語に訳してくれるが、
ほとんどヘブライ語とアラビア語だ。言葉のカベを痛感。火薬くささが生々しいガス弾や、ドアをぶ
ち抜くための弾丸 ---- これが今回は人体に対して使われたという。これは「イスラエル的」にも違
法らしい----- を見せてもらう。
ジャンクション近くの村の入り口に、軍のジープが止まり、車両の出入りを完全にシャットアウト
している。子供や若者が、対峙するというより、冷やかす感じでたたずんでいる。何人かの若者と言
葉をかわしながら、そこになんとなくたたずんでいた。やがて大きな敷物を持った人を先頭に、近く
のオリーブ畑へ皆で向かう。いつのまにか現れたもう一台の軍のジープがぴったりと密着してついて
くる。10代の少年らと、名前を教えあいながら歩く。
6年前にできた入植地ラバーバに接するオリーブ畑(というより、村のオリーブ畑の土地に入植地
が割り込んできたのだが)に着いた。銃を肩にかけた怒り狂った入植者が待ち構えていた。カメラを
向けるノアにたいして、頭ほどの石を振り上げる一幕もあったが、出てきたイスラエル兵は全然、高
圧的ではなかった。
1本の樹の下に畳六畳分ほどの敷物を広げ、皆でおもいおもいに実をつんで落とす。ネタの回りに
実にうれしそうに少年達が集まる。銃をさげた別の入植者が下りてくるが先ほどの狂気じみた怒りは
なく、なにやら談笑している。
いつのまにか、2人のおとなしそうなイスラエル兵が来て、ノア達に立ち退きを迫っている。教師
のおじさんが「手伝ってくれてありがとう。君らが来てくれなかったら、少年らが撃たれるところだ」
イタリア人のカメラマン・ピエトロによれば、占領地ゆえに通常の法でなくてmilitary Law がまかり
通っており、軍施設や入植地から400メートル以内に「侵入」したら撃ってもいいのだと言う。そし
てここにも、無残に倒された「テロリストの樹」 がそこらじゅうにあった。ピエトロも、入植者への
怒りをあらわにしながらも楽しそうに収穫している。
やがて、業を煮やした兵士が、樹に登った少年らに囲まれて楽しそうに収穫しているネタに紙切れ
を示しながら読み上げ始めた。彼女はばかにしたように反論していたが、もう収穫はほぼ終わってい
て、「残りもうちょっとだけ、やらせろよ」という感じで結局は、皆の粘り勝ち。 西日に輝くオリー
ブ畑を突っ切り、意気揚揚と村へ引き上げる。少年達はネタの回りを離れたがらず、実にうれしそう
だ。僕はやたら腹が減ってきた。
ピタッとつけてきたジープのハッチから、兵士が突然銃を水平に構えるのが見えた。すぐに大人達
が大声で叱責する声が聞こえ、オリーブ畑の中を少年達が走り去って行くのが見えた。何人かの子供
たちが投石しようと待ち構えていたのだった。
Nawaf の家で一服しながら、ピエトロが、ヨーロッパの国はどこも弱腰で、アメリカがついてるイ
スラエルに何も言えないんだと、やや興奮気味にまくしたてている。居間では、へブロンからのクルー
による、ネタへのインタビューが始まっている。玉ねぎ炒めとチキンの夕ご飯に感激。パレスチナの
家庭料理は、いつも感動するほどおいしい。
「 挑発する入植者と、眠れない人々」へ続く
「俺がこの目で実際に見たパレスチナ」トップへもどる
俺がこの目でてきとうに見た世界/目次へ
この旅を実施した男のバンド・ジェロニモレーベルのページへ